五節句
五節句(五節供)は奇数が重なる日をめでたしとした中国の考えが、奈良時代に伝わったもの。 それが稲作中心の日本の生活にうまく調和し、人々の大切な行事となりました。 1月7日は稲作の始まり、3月3日は田植え、5月5日と7月7日は草取り、9月9日は稲刈りといった重要な作業をする時期。 共同体である村人が農作業に入る前に全員休み、農作業の無事を願って、 栄養のあるものを食べ、神々に感謝する祭りを行ったのが始まりといわれています。
1月7日 人日(じんじつ)の節句
- 由来
- 人日とは、文字通り“人の日”の意味。 中国の古俗では1日から6日までは獣畜を占い、7日には人を占い、 人の邪気を祓(はら)うために、七種菜の汁を食べて無病息災を祈願したそうです。
- 料理
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中国の風習が日本に伝わり、人日の節句として「正月7日の祝い」となり、
一年の健康を祈って七草粥を食べるようになりました。
現代ではおせち料理で疲れた胃をやさしくいたわる、理にかなった食べ物といえます。
●春の七草、全部言えますか?
芹、ナズナ(ぺんぺん草)ごぎょう(ハハコグサ)、はこべら(ハコベ)、仏座(タビラコ)、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)。
3月3日 上巳(じょうし)の節句
- 由来
- 雛祭りは上巳(じょうし)とも呼ばれます。これは古代中国で、 3月初めの巳の日(上巳)を悪日として、川辺に出て不浄を除くため 水で祓(はら)いをする風習があったからです。 また日本にも古来より、草木や紙で人形(ひとがた)を作り、 それで体をなで自分の厄を移し、水に流して禊ぎをする風習がありました。 人間の身代わりにしたことから、「形代(かたしろ)」とも言われ、「源氏物語」には、不遇の光源氏が須磨の浦で形代を海に流して禊ぎをする情景が描かれています。 このように中国と日本の厄よけの風習が合体して「上巳の節句」となったようです。
- 料理
- お菓子
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定番といえば、雛あられ、菱餅、白酒、はまぐりの潮汁など。それぞれにいわれがある縁起物です。
例えば、菱餅・雛あられには、白・緑・紅が使われますが、これは「雪が溶け、芽吹き、花咲く」の象徴。
白酒は体を清める意味があり、はまぐりは貝殻がしっかり合わさっていることから、将来良い伴侶に恵まれるという意味があります。
尾張名古屋では「押し餅」という米粉で作ったお菓子を飾ります。 雛人形や鯛など可愛い押し型に模様が色鮮やかに描かれた餅菓子で、 そのまま食べてよし、焼いてよし、昔ながらの懐かしい味です。 好洋では「押し餅」の木型や米粉の販売もしております。
5月5日 端午(たんご)の節句
- 由来
- 5月は春から夏への変わり目、疲れが出たり病気になりやすい頃です。 そんな体の不調は昔の人も同じだったのか、古く中国では、 5月初めの午(うま)の日に、薬草で災厄や病魔を祓う習わしがありました。 それが日本に伝わり、節句行事として今に受け継がれているのです。 端午とは月の初めの午(うま)の日を意味する言葉ですが、 「午」と「五」の音が同じことから、いつの間にか5月5日だけを指すようになりました。
- 料理
- お菓子
- まずは「ちまき」、餅米やうるち米を草の茅や笹の葉で包んで蒸したもの。 中国伝来のもので、笹には邪気を祓い、疫病を除く薬用効果があります。 「柏餅」は室町末期から食べられたもので、柏の木は次の葉が生えるまで 葉を落とさないことから子孫繁栄を祈る意味があります。 くちなしの実で色をつけた「黄飯」は武家に生まれた飯の炊き方で、 祝い膳に欠かせない料理。邪気を祓い、血の流れを良くすると言われています。 料理の定番は、やはり旬のカツオやブリ、タケノコなどを使ったお寿司や煮物・焼き物など。 しかし最近は、子供も大人も大好きな「焼き肉パーティ」のご家庭が多いようです。
7月7日 七夕(しちせき)の節句
- 由来
- 七夕の節句は、日本では織姫と彦星の物語として知られていますが、 もとは中国から伝わった牽牛(けんぎゅう)と織女の伝説が、 日本古来の棚機津女(たなばたづめ)の信仰と結びついたもの。 芸事の上達を祈るという意味が強い節句で、 江戸時代より、五色の短冊に和歌や願い事を書いて笹竹に飾るようになりました。 また、農作物の収穫時期だったことから、七夕は麦や野菜を供えて神に感謝を捧げる収穫祭でもありました。
- 料理
- 江戸の頃から邪気を祓うために、さくげ(瓜)や、 江戸以降からは天の川に見立てた素麺を食するようになりました。 素麺は神社・貴族の間で縁起の良い食べ物として重宝されていたそうです。
9月9日 重陽(ちょうよう)の節句
- 由来
- 菊を愛でながら長寿を祈る節句。 中国では、菊の花を浮かべたお酒を飲むと寿命が伸びると信じられており、 それが日本に伝わって、平安時代より不老長寿を願う行事となりました。 また、この日は秋の収穫祭でもあり、御神酒に菊の花を添え、 稲や栗などを供えて、神に感謝を捧げて無病息災を祈りました。 「重陽の節句」は平安時代には宮中の行事に、江戸時代には武家の祝日になり、 明治時代までは庶民の間で盛んに行われた行事でしたが、 残念ながら今では私たちの日常生活から縁遠くなってしまいました。
- 料理
- 旧暦の9月9日というと現在では10月にあたり、 かつては栗の節句とも呼ばれ栗ご飯で祝ったそうです。現代も風流に菊を浮かべた菊酒や、食用の菊を使った天ぷらや茶碗蒸しなどの料理に舌鼓、古に思いを馳せ、ご家族で祝宴を催すのも一興です。